磯釣りメインの釣師、池永祐二。これまで200種以上のお魚さん達と出会っています。東九州の磯釣りメッカ大分から釣りと自然を紹介しています。 初めての人は右の【まとめて見ると楽しい】から見たい項目(釣り・テクニック・魚・鳥・植物)などをどうぞ。
前回からの続きです・・・この本は2000年の冬に発売されました。
私がトーナメントに初めて参加したのは、1987年に大分県の蒲江で開催された、第10回G杯グレの九州地区予選でした。初めてのトーナメントで勝ち進んだ私は初優勝。その冬の全国大会に出場したのですが、三原憲作名人に5㎏対0という惨敗で、全国レベルの高さを思い知ったのが33歳の時です。
この大会から帰っての釣りは、グレ釣りの練習になりました。それまでは、釣ったら食べたりお土産に配っていましたが、釣ってもリリースするスタイルへと変化しました。釣りの練習だから殺す必要はなく、必要な時に少しだけキープするようになったのです。
また、この頃のトーナメントは、検量後にリリースする概念はありませんでした。グレ釣りトーナメントに出場すると、数多くのグレを殺さなければならず、目的が覇を競う大会なのに、生き物の命が奪われるという、代償を払っての大会が続いていたのです。
この概念を塗り替えたのが、1997年から開催されたロイヤルカップです。
古い記事ですが、懐かしい文章です。
一つからでも購入OK ! スマホケース・iPhone
私がトーナメントに初めて参加したのは、1987年に大分県の蒲江で開催された、第10回G杯グレの九州地区予選でした。初めてのトーナメントで勝ち進んだ私は初優勝。その冬の全国大会に出場したのですが、三原憲作名人に5㎏対0という惨敗で、全国レベルの高さを思い知ったのが33歳の時です。
この大会から帰っての釣りは、グレ釣りの練習になりました。それまでは、釣ったら食べたりお土産に配っていましたが、釣ってもリリースするスタイルへと変化しました。釣りの練習だから殺す必要はなく、必要な時に少しだけキープするようになったのです。
また、この頃のトーナメントは、検量後にリリースする概念はありませんでした。グレ釣りトーナメントに出場すると、数多くのグレを殺さなければならず、目的が覇を競う大会なのに、生き物の命が奪われるという、代償を払っての大会が続いていたのです。
この概念を塗り替えたのが、1997年から開催されたロイヤルカップです。
古い記事ですが、懐かしい文章です。
一つからでも購入OK ! スマホケース・iPhone